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リコの書くブログ008

内容が仕事よりになっているので、「超」個人的な話を。
だいたい「吉田さんは何やってる人なんですか」とどこでも聞かれます。
正体不明。職業不明。
なんで、子どもの時から何に興味を持っていたかの話パート1。小学校までの話。

母の実家が新潟なので、新潟の国鉄の病院(祖父が国鉄の人なので)で3000gで生まれた私ですが、その病院の先生が「絶対母乳」の人で。小学生になるまで追跡調査があったので、生まれたときから研究対象ww。粉ミルクの入っている棚には厳重にカギがかかっていたとか。
プレッシャーのためかまったく母乳が出ない母だったので、10日間「お湯」しか飲まない生活だったそうです。新生児は生まれて少しするといったん体重が減りますが、そんな比ではない体重減。おそらく今痩せないのはその反動かと(ウソ)。おなかすいてずっと泣いてるので、「吉田さん、またお子さん泣いてるわよー」と母は言われ続けたそうです。
あまりにも出ないので、退院時に、さすがに先生があきらめて、もう粉ミルクをあげてもいいよと言ったらしいのですが、そのとたんにちゃんと出始めた母。
私の10日間を返せ、ですよね。

で、そのあと春日部に戻り、3歳まで。父の仕事の都合で横浜に引っ越して、10歳まで。引っ越した次の日に散歩に行って、お友達を作って帰ってきました。近所の女の子。今でも年賀状のやり取りをしています。うーん積極的。今この積極性があるのかないのか・・大人になるって内向的になるということでしょうか。

幼稚園から英会話を始めて、将来は何か英語を使った職に就きたいと思っていました。ちなみにピアノは、母が「ご飯を作っているときに娘のピアノが聞こえてくる、カーテンを揺らす風も心地いい♪」生活をしたいために習っていましたが、好きじゃないのでちっとも上達しませんでした。やっぱり自分がやりたいことじゃないとだめなのです。昔から。

小学校に入学する前に、父から「鎌倉大附属の小学校を受験しなさい」と言われましたが、きっぱり断った覚えがあります。だって幼稚園の時のお友達と一緒に小学校行きたかったから。そしたらすごく怒られて、もう期待しないといわれました。(私は結構小さいときからの記憶があるのです。音で覚えているから、すぐに再生できるの。あまり良いことではないですけどね。嫌な思い出もリプレイするから。)

幼稚園の頃から本が大好きで。1年生の時は「本を読んだら感想文を書く」というルールがうちにはありまして、読んでは書いて、担任の先生にみてもらう(母が頼んだ)という繰り返しをしておりました。あらすじを書いたり、印象に残った場面を絵にかくと母に怒られたので、完全に「感想」を書く癖がついておりまして、それは今でも変わりません。


3年生の担任の先生が「いちご絵本」とか「マザーグース」を教えてくれました。キングレコードから出されているマザーグースの歌を聞かせてくれて、沢山覚えましたし、アンパンマンの第1話(いちご絵本に連載されてた)を見せてもらったりしました。言葉って楽しいと思ったのはこのころから。花咲山やべろだしちょんま、そういうちょっと「人間の悲哀」が入っている話が好きでした。マザーグースも明るくないもんね。私の読書傾向はこのあたりから固まってきた気がします。

忘れられないのは3年生で「坊ちゃん」を読みたいといったら、母が担任に相談をしたことです。坊ちゃんはマドンナとかが出てきて男女の話(もちろんそういうレベルではないのは皆さんご存じでしょうが)が入っているので、3年生にはまだ早いのではないかと言ったそうです。先生は、文学なんだから大丈夫と言ってくれて、無事に読むことができましたが、馬鹿じゃないかと思いますよね。うちは恋愛とかそういうのは一切ご法度というか誰君が好きとか言ったら怒鳴りつけられたので、今でも「そういう」感情を持つこと自体が悪いことであるという、別に後ろめたくなくても背徳感があったりします。

小さいときの子どもの教育って、親の価値観がばっちり入るから本当に怖いですね。私はこの時の経験があるので、自分の子には一切感情の制限をしていません。