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リコの書くブログ013

いじめのことはブログの趣旨とちょっと外れるので細かくは書かないで、さらっと受験の時期まで飛ばします(林間、修学旅行など大きなイベントは毎回いろいろあって、かけないことが多くて・・)。
当時埼玉県は公立がメインで、落ちたら私立。もちろん私立でも進学校など、昔から人気が高い学校もありましたが。さらに女子高、男子校に分かれていて、そういう別学の学校に行くのが「良い」という風潮がありました。少子化の今はほとんどが共学ですし、別学だからよいというものもありません。もちろん別学の良さはあって。うちの子も女子高を選んでいます。
そんな中、とにかくうちの中学校は女子の半分が一女、男子も多くが浦高という学校。でも私は私立の女子高に行きたかったのです。淑徳与野ですけど。
理由はいくつかありますが、一番大きいのは、現役で大学に行きたかったこと。私は今でこそ「勉強好き!」と言えますが、その当時はまだまだ自分の勉強方法なんて確立していなくて、怠けられるのなら怠けたいお年頃。公立の「何も言わないから自分でやれ」という風潮はどうしても合わないと思ったので、とにかくちゃんと面倒をみてくれる私立で、しかも仏教というのが気に入っていたのです。制服も変わって可愛かったし。
両親に私立に行きたいというと、母は猛反対。彼女は「公立一番」の意識が強いので、どうしても私立、しかもまだそれほど偏差値が高くなかった学校に娘が行くことは許せなかったのです。といっても偏差値その当時65くらい私あったんですけどね~。英語と国語は70超えてたし。ただ、一女には届かなかっただけで。
私立なら浦和明の星女子のほうがよかったらしいのです。当時は公立なら一女、私立は明の星と言われていましたから。だけどキリスト教だったんだもん。キリスト教は嫌いじゃないけど、仏教が良かったのよ。そういうのって大事だと思うんだけど(情操、思想に関わってくるからね)そういうのは関係なかったらしく。だから、明の星も受けるという約束で淑徳を受けることができました。(ていうか併願確約だったから受けたというかなんというか・・)
で、私立は両方受かって。(受験に関しても先生との吉田史上最大のトラブルもあったんだけど、それは割愛。聞きたい人はFBに書いてもいいよ)公立も嫌々受けて。
しかし、試験の前日、父が部屋にやってきました。
「お母さんがどうしても公立に行かせたいというので、合格したら公立にいきなさい」
「嫌だよ。淑徳に行きたいの」
「だめ。それなら金は出さない」
・・まあ、お金出さないといわれたら、中学生は引き下がるしかない。
でも、考えましたよ。公立落ちればいいんでしょ?
てなわけで、徹底的に手を抜くという手段にでました。
合格発表じゃなくて、試験の前に言われたのが救いでしたね。父も母も、落ちるという発想がないから。
発表日、当然落ちているわけです。首をかしげてがっかりしながら、
「なんで落ちたんだろう」とぼやく母に、
「なんでだろうねえ・・」と切り返しながら無事に志望校に入学できました。
ただし母は、3年間一度も私の高校名を口外しませんでした。
「お嬢さんはどちらに?」
「おほほ、浦和のほうの女子高です」
みんな、一女だと思ってたと思うよ。
自分の選んだ学校が認められない。ここで、親の言う「良い学校」じゃないというコンプレックス第1弾が出来上がるわけです。

余談ですが、当時明の星をけって淑徳に行く人なんていなかったらしく、中学校のPTAから電話がかかってきました。
「なぜ明の星受かってるのに淑徳になんて行くのか。うちの学校の顔に泥をぬるつもりか!」
偏差値だけで学校をみてる。淑徳も明の星もそれぞれ良い学校です。特色が違う、カリキュラムが違うだけ。いける環境ならば、その子が行きたいところに行けばいいんですよ。ほんとおかしな時代でした。明の星が嫌ではなかったのです。淑徳に行きたかっただけ。知らないおばさんに電話で怒鳴られながら、なんで行きたい学校にいけないのか、普段は自分の意見をしっかりいうようにしましょうとか、自分の将来を考えましょうとか言うくせに、結局押し付けてくる。
高校って大人の反対を押し切っていくほどのところなのか・・15歳にはよくわかりませんでした。