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リコの書くブログ023

大学入学式の前日。うちの父が変な歌を歌い出しました。
早稲田大学校歌の替え歌。しかもひどいやつ(とても同窓の方にはお聞かせできない・・)。父は東大卒ですが、その当時東大で流行った、他の大学の校歌を替え歌にして馬鹿にする早稲田バージョンだそうで。
そしたら今度は母が、自分が中学校の時の体育祭の応援歌で早稲田の校歌を中学校の名称(わせだ わせだ のところ)に変えた歌を歌い出しました。
なんで応援歌なのか・・確か慶応も次に歌ってましたが。
喜んでいるのか馬鹿にしているのかちっともわからない、お祝いムード無しの状態で、そのひどい替え歌が頭に残ったままの入学式。
新入生でギチギチの文学部の体育館の観客席(つまり、上のほう)には沢山の保護者、関係者方。なんか変な圧を感じるのです。
粛々と入学式は進み、最後に校歌。私がびっくりしたのは、上からすごい迫力の声が聞こえてくることでした。親自身が卒業生なのか、この学校に子どもを入れたかったからうれしくて歌うのか、いろいろあるのでしょうが、子ども達よりも大人たちの思いが伝わってくる感じでした。この中では当然うちの親は何もうたわなかったと思いますがね。
私の学部は所沢でしたから、実際の通学は早稲田ではありません。
最初は大宮から埼京線で池袋まで行って、西武線で小手指までいってバスでしたが、池袋や新宿に行くのは「不良」という母の「提言」により、前期終了を待たずにやめて、新越谷から武蔵野線で秋津、そこからのりかえて小手指というルートにしました。
当初、門限が20時。所沢で6限まで授業を受けると、終了が18時ちょっとすぎ。すぐにバスに乗って(それだってすぐに出発するわけではない)、電車に乗って(もちろんすぐ来ない)、乗換えて(武蔵野線は本数が少ない)。普通に電車に乗ってるだけで1時間半以上かかるのに、絶対に門限は間に合わないのです。毎日家にカギがかかっていて怒られるのですが、なんでまじめに授業受けてきて怒られるのか、全然わかりません。
ちなみに我が家は「誰かが家にいること」が鉄則のうちだったので、私は40近くまで自分の家のカギを持っていませんでした。本当に無意識のうちにいろんなことで行動を縛られているのです。
(今はカギを持っていますが、私が帰ってくるまで何故か母が起きているという超プレッシャーと闘っています)

サークルに入るのもひと騒動。まず、サークルは「不良」が入るところだと思っている母に、どんなサークルがあるのかを学内誌を買って伝え、プレゼン。
私が入ったのは「人間科学研究会(J’s)」という、大変真面目なサークルでしたが、研究会というだけで怪しい、騙されている、男性がいるからダメとか本当に意味が分からない理由で却下。結局、サークルには入っていないとウソを半年くらいついてました。だから最初のほうは飲み会とか出てなかったなあ・・まだ18ですからもちろんアルコールは飲まないにしてもね。

もう一つは大学生協学生委員会。こちらはサークルではなく、大学生協の組織なので、生協から「活動費」というものが支給されます。その関係で銀行口座をつくったり、実印をつくったりしなければならなかったので、こちらはさすがに親の同意が必要。
・・・大変でした。だって「生協」=「共産党」のイメージだから。党員になるのか、親子の縁を切る(まただよ)、騙されてる(誰に?)とすごい勢いでしたが、もともと活動系のことが好き(生物の先生の影響でね~)なうえに、大学受験で親とは考え方が違うのだということがはっきり認識できていたので、強引に入ってしまいました。共産党云々というのは感じたことはあまりなかったです(あったかもしれないけど、実感がない)
・・正直、所沢キャンパスの学生委員会の活動は政治色もなかったし。まあ本キャン行くと、色々感じることもありましたが、嫌いではないので受け入れてました。
思うのですが、自分たちの暮らしをちゃんと考える、学生生活をより充実したものにする、そんな意義で学生委員会はあったと思うのです。
だから企画をするのも楽しかったし、勉強もしました。私はユニセフの活動の担当だったので、食堂にユニセフの募金箱を置くとか、新歓の合宿でユニセフについて語るとかで勉強以外の世界に関わると自分の視野も人脈も広がるのがうれしかったです。
合宿・・はもちろんNGですから、お友達のうちに泊まるというウソをつき。
これが面白いんですよ。お友達の家に泊まるのはOKなの。
別に女の子の家にいるかどうかだってホントは判らないのに、そこは信じるのよね。自分たちの娘だから「不純異性交遊(古い)」なんてしないと思ってたんですね。ま、お父さんお母さんごめんねってな話ですがね(笑)

なんでこんなことでウソをつかなきゃならんのか、正直くだらないですが、でも徐々に自分の思考や興味関心について親に話さなくなりました。

ちなみにこのころから理由をつけて家に寄り付かなくなり、朝家を出たらほぼ終電。門限は「学校で勉強するから」の一言で破りまくり。
毎日怒られましたけど、接する時間が短ければ、その分つらくないのです。
これはいまだに続いていて、帰宅拒否。早く用事が終わってしまうと、たいてい一人で飲んで帰ります。最近は車で移動が多いので、飲めなくてつまんないです。子供には申し訳ないなと思うけど、だってお母さん家にいたくないんだもん!といったら、「気にするな」と言ってくれました。ありがとう、わが子たち。君たちも早くこの家から逃げるんだよ!と伝えています。

だから父に言われました。
「妹は口では反抗するけれど、最終的には俺の言うことを聞く。理子はへらへら笑っているけれど、絶対に俺の言うことは聞かないから許せない」と(^^;)