はっきり麻酔が覚めたのは夜中。付き添いの母曰く、何度も途中で起きては、「もう終わった?」と聞いたそうです。ちなみにこれはいつもそう。この後今までに2回ほど手術をしたのですが、いつも「もう終わった?」と聞くとか。
母の場合は、「生きてた」です。みんなそれぞれ気になることをしゃべるのですねえ。
ただし、そのあと先生に言われたことは、吉田さん寝言で「ソフトクリーム~アイスクリーム~」と言ってたよと。
暑かったのかな。それとも、水着の話なんかされたから、海に行く夢でも見たのかなと、かなり恥ずかしい状態でした。
手術中の出来事は母に聞きました。手術室の前で座っていると、院長先生が術衣のまま飛び出してきたので、
「終わりましたか????」と聞いたら、「隣で出産!(産婦人科だから)」と叫んで去って行ってしまったとか。
執刀医じゃないからいいけど、ちょっとびっくり。そして、2時間半で手術は終了しました。
切り取った嚢腫は母が確認。見たかったなあ・・当たり前ですが、私はいつでも見ることができないのです。
すごく興味あるのに。いつか部分麻酔の時に見せてもらいたいものですね。
このあと1週間はひたすらお見舞いの対応。
家族以外で最初に来てくれたのは、大学1年から仲の良かった男の子。背が高くて格好良い子なので、
お見舞いに来てくれた後、隣の部屋の入院患者さんから、「まだ生まれてないのにパパもウキウキねえ・・」などと
言われ。いや、私妊婦じゃないし、そもそもおなか大きくないじゃん?(大きい様に見えたならそりゃショック)とか思って笑ってしまいました。傷口が痛む。
次に来てくれたのが、大学の後輩たち。何を思ったか、ケーキを持参して。
あのね、まだ食べられないのよ?と言ったら、「ザンネーン」と言ってその場で食べ始め。
(食べてと言ったからよいのですが)美味しそうなケーキを前に、いたずらにおなかがなり、やっぱり傷口が痛む。
次が中学校からの友人。彼女、彼女だけが私が食べられるものを持ってきてくれました!
「たらみのこんにゃくゼリー」。もう、神かと。今でも「たらみ」を見ると思いだします。
入院のお見舞いは本当に難しいですよね。お花も、食べ物も。だから私は最近はTVカードを買って行ったりします。
病室のテレビと冷蔵庫に使えるから。入院中一番私がほしいものなので。あとは、amazonとかLINEのカード。とにかく、消費するのが良いと思っています。まあ、色気ないですけどねえ。
無事に回復し、退院後3週間ほど実家にいて下宿に戻りました。
3週間目(もう夏だった)に自転車に乗ってみたら、陸橋の真上で貧血で動けなくなるという事態に。
うーん、やっぱりまだ無理だったかあと思いながらしばらくボーっと電車を見ていたことを思い出します。
回復後、1か月半遅れの就職活動開始は、あきらかに不利な状態で、最初に書いたように手術のため試験の延期をしてくださったたった1社のみ受かるというものでした。でも、この1社に入社したことが多分私の人生を大きく変えることになったのだと思うので、運命というのはそういうものなのだなと思います。