パート2は中学編です
中学校は浦和でした。陸上部に入ったので、朝練の日は始発。
昔ですからまだ誰も乗ってなくて、横に寝転がっても大丈夫なくらいでした。今からは考えられません。最寄りの駅も、階段もなくて隣のホームに行くのに線路を渡るというローカルぶり。それでも大宮、浦和は「都会」で、なんだか急に大人になった気分でした。
入学して最初の衝撃は、隣の席の子から「会員?準会員?」といきなり聞かれたことでした。何のこと?今、全国統一小学生テストなどをやっている四谷大塚のことです。とにかく2年前まで塾という単語すら知らなかったんですから、当然四谷大塚なんて知らない。でも、附属の子で中学受験してきた子には当たり前だったようで。「知らない」といったときの驚愕した顔はなかなかでした。
会員だとすごい!ってことになるらしいです。いまだにその仕組みはよくわかりませんが。
さらに、あずま進学(浦和の有名な塾)にも入ってないから、「こいつ田舎者だ!」とレッテルを貼られてしまったも同然でした。何か親切な男の子が「四谷大塚の歌」が入ったテープを貸してくれたりしたけど、すごいステータスだったんでしょうね。。後年、妹が中学受験した時には両親が四谷大塚に入れて(妹のほうが期待値高かったんです)、そこで初めてああ、これが会員、準会員てやつかあ・・と思ったりしました。ちなみに妹は会員でしたよ。。(でも仕組みはわからない。正直興味なかった)
陸上はスパイクを買ってもらって、100M は12秒9。悪くない成績でしたが、もともと部活に力を入れている学校でもなかったので、それ以上は伸びませんでした。でも毎日走って楽しかったです。リレーも選手でしたし。
勉強はだいたい真ん中位。だってあの学校、90人しかいない女子の半分が浦和一女に行くようなところでしたから。頑張って30番台くらいでしたね。完全文系で、国語、英語、社会の点数はよいけど、数学、理科は必死に勉強して平均ちょっと上くらいでした。ただし理科は分野によって完全に理解度が違って。
生物、化学系は大丈夫だけど、物理地学がアウト。カエルの解剖、豚の胃の解剖、牛の目玉の解剖。。楽しかった!あの網膜の黒さは今でもよく覚えています。
1年の時に埼京線ができて、すぐに「ケーブル切断事件」が起こりました。
県庁に勤めていた叔父の車で学校に行ったら休みだと。私が遠いので、連絡網が回ってくる前に家を出てしまったのですが、この事件の影響で京浜東北も全部止まっていたので帰れず、浦和から大宮まで歩いて帰りました。知らないところだったから怖かったですが、ただまっすぐに大きい道を歩けばいいやという根拠のない自信があって。2時間くらいで到着しました。この自信、東日本大震災の時にも発揮されました。
あの時は日進から春日部まで歩きましたがね。その時は4時間でした。