大学生と言えばアルバイト!
でもアルバイトなんてどうしていいかわからない・・と思っていたのですが、
初めてのアルバイトは「大掃除」でした。
奈良から来ていた友人が下宿していたのが天理教の教会で、夏の前に大掃除をするからと。友人と(誰と行ったかは覚えてないんだけど・・)二人で1日たっぷりと床を磨いたり階段を磨いたりいたしました。時給をいただいて、カレーライスをいただいて(金額は覚えてないけど、カレーはよく覚えています)終わり。
はじめて自分で「稼いだ」お金。うれしかったです。
もちろん、天理教なんて言ったら絶対反対されるから、親には内緒。別にいいだろうに。大学生協の時も思ったのですが、「政治」「宗教」に自分の子どもが近づくのはそんなに悪いことなのでしょうか。別に私は共産党に入党もしてないし、天理教に入信もしてない。でも、そういう考え方、世界があることを知らないというのはこれまた問題だと思うのです。憲法19条に思想良心の自由ってあるのに。今、人権について考える機会が多いのですが、「親として」という立場で子どもの生き方を縛るのは、子どもの可能性をつぶすことだけでなく、子どもを信用していないと子ども自身に感じさせてしまうという、最悪の状態になると思います。実際青年期以降、私の両親への信頼というものは徹底的になくなっていますから。親子、家族としては望ましくないわけです。
親が子供を危ない(と自分が思う)ことから遠ざける、目の前の石を事前に拾ってケガがない様に育てる様は今の子育てでもよく問題になりますが、赤ちゃんの時と、成人に近くなった時と同じかかわり方をするというのは、子育てとしてはアウトだな・・と今は思います。まあ、50近くなっても同じ事されてるんで、もうどうしようもないのでしょうけれど。
次のアルバイトは、大学生協の棚卸でした。1日本キャンに行って棚卸。この作業が私は大好きで、これ以降所沢キャンパスでの棚卸バイトは大学院までずっと参加してきました。
2人組でやるのですが、私が組んだ相手も上手な方で、ほかの人たちよりも多くの作業をすることができました。手際が良いということを褒められ、うれしくて家に帰り報告(棚卸のバイトは許された)。そうしたら父が
「同じ時給で労働をするならば、他の人より多く作業をすることは損だ。馬鹿じゃないのか」
と。褒められるとは思ってなかったけど、仕事を効率よく行い、雇用主から高く評価されることが馬鹿とは。「棚卸」という作業に対して、目的を達成するためにチーム(2人)で工夫する。とてもやりがいがありました(ほんの半日だったけど)。
評価されて、またこの仕事をしたい、と思えた、それに対して対価となる賃金をもらえた。時給は最初から納得して申し込みをしています。
何が悪いの?と思いました。
安い賃金、少人数でできるだけ効率を求めて仕事をさせたい雇用側と、時給に見合い(と自分で判断する)できるだけ自分に損がないように労働を提供する被雇用者というかかわりでは、何の成長も生まない。
でも父は「これが労働だ、これが資本主義だ」というのです。私がお人よしだと。この体験はずっと私の心に残っていました。「働くこと」に対する父と私の解釈の違いをはっきりと認識したのです。こんな人たちが創り出している社会とやら(父は労使関係の専門家でしたから)は嫌だ、絶対に間違っていると思いました。
ただ、その時は知識がなくて反論もできませんでした。今はだいぶ意見をします(30年たってやっと意見だよ)。一刀両断でつぶされますけど、最近は理屈でつぶせないから怒鳴りつけるという感じに変わってきました。
私が考える働くということ、生きるということは新自由主義的な社会とは最初から相いれなかったんだなーと今思ったりしています。