人間関係(交友関係)のお話です。
私は小さいころから人が好きなので、あまり人との縁を自分から切るということがありません。自然と疎遠になる方はいらしても、けんか別れというのはほとんどないのではないかな・・と思っています。基本的に切られない限り切らない。だから、ずーっと長く続いているお友達は沢山います。
ただし、自分の許容範囲を超えた人、または相手から切られた場合は、私の意識から消えるので、目の前を通っても気が付かない場合があります。極端なんですよねえ・・
人の悩みもよく聞きますので、どうしても依存されることが多いのですが、それもあまり苦になりません。むしろ、自分が関わっても何もできないことの方が多いから(悩みはたいていそうですよね)、ほんとに私なんかに話してるのでよいのかなあ・・などと思っています。
それでも最近は自分も悩みを人に言えるようになりました。だいぶ変わってきたな、自分と思います。先日も長い付き合いの友人と話していて、「歳とって丸くなったよねえ・・」などと感慨深くなっていました。頼れる人、弱音や弱点を見せても受け入れてくれる人がいるというのはこんなに心地よいものなのかと。もっと早くからやればよかった(笑)、みんなこういう気持ちなのか・・と。
ただし、自分は依存はしたくないので、弱音を吐いたら先に進む、弱点があったら克服できるように(できなかったとしても)がんばる、ということはやめない様に努力しています。相談を受けるときも、いっぱい愚痴言って、先に進めるならいいじゃない、その発散先が私でよいなら受け入れるよ!という気分に変わってきました。そしたら、あんまり依存されなくなってきたのですよ。受け入れ側の姿勢というのもあるのですね。
また私の家の話になりますが、私の家族(出生家族)は私以外は人づきあいを切るタイプの人たちです。父は仕事柄交友関係は広かったですが、いわゆるプライベートな友達は本当の一握り。おそらく片手で余るくらい。母は人を信用しない人なので、正直今誰もいません(いわゆる表面上の付き合いはうまい)。妹もひとりか2人くらいかな。すごいなと思ったのは妹が中学校のころ、街中で会った女の子が彼女に手を振って、妹も笑顔で手を振り返したから、後で「あの人誰?」と聞いたら、「知らない」と答えたこと。今同じクラスだと思うけど、名前知らないし、はっきり覚えてないと。4月じゃないですよ、2学期後半の話です。私も人の名前を覚えるのは得意でないですが、(何しろものすごい人数に会うから)その時同じクラスとか、1年近く一緒に活動している人は忘れません。それで学校生活が成り立つって、どういう風に生きてるんだろうと思いました。
その妹には、「お姉さんは友達が多すぎて気持ち悪い」と言われたこともあります。友達多くてうらやましいならわかるけど、気持ち悪いって?と思ったら、自分の時間を人に使うなんて無駄、お姉さんはいつ自分のことを考えるの?と言われました。彼女は自分が一番大事だから、人のことばかり考えてるお姉さんは気持ち悪いんだそうです。人のことを考えながら、いつも自分のことも考えているよと言返事したけど、よくわからなかったみたい。
私も自分のことは大事です。子供のころからあまり自分のことは好きじゃなかったのですが、好きじゃないと、人生楽しくないなと高校の時に思って、かなり努力して自分を変えてきました。「こういう人なら私は好きだ」という形に。
昔はもっとキツかったですからね。若さからかもしれないけど、正しいことをやっていれば許されるという思いが強かったのかなと思いますし、他人に対してもそれを要求していたと思います。私を頼ってくる人たちに対しても、昔はかなり説教臭いこと言ってたんじゃないかなあ、あんまり覚えてないけど(^^;)
だから、叱られたいタイプ(依存するタイプ)の人が残って、結局ズルズルいってたのかもしれません。
両親が自分を評価してくれないのも、きっと性格がよくないからだと思っていた時期もありましたし(今は全然そう思わないけど)。
だけどやっぱり人が好きで、人とのかかわりはやめられません。
人が困ってること、個人でも、地域でも、組織でも、何とかならないかなと思います。どうしたら楽になるのだろうと思います。もちろんそれは困っている人本人も考えなきゃならないし、動かなきゃいけないんだけど、少しでもその人たちが、そして自分が動きやすい様に仕組みを変えたり、新しく作ったりすることが自分は結局好きなんだな~と思ったりしています。
今、地域のボランティアや一般社団法人の活動をしていて、自分だけの思いではどうにもならないことがあるということに突き当たっています。この先は一人では乗り越えられない。私のようなちょっと馬鹿みたいに人のことに関わろうという人、他にもいないかな~と思うし、そういう人と沢山つながっていきたいなと思います。
人生も折り返しの年代に入ってきましたので、これからの人間関係は広く、そして濃く。(広く浅くでも、狭く濃くでもないのよ。)たとえ妹に気持ち悪いといわれても。